2026/11/1

制度改革VS.現状維持バイアス

 企業を取り巻く経営環境が急速に変化するなか、従来の制度や仕事の進め方の見直しが求められている。組織体制の再編、業務プロセスの見直し、新システムの導入、人事制度の改定など、その対象は幅広い。こうした改革は、生産性の向上や競争力の維持・強化に欠かせない取り組みである。

 社員も、改革の必要性を一般論としては理解している。しかし、いざ具体的な改革案が示されると、反対意見や消極的な姿勢が表面化する。「今の制度でも特に問題はない」「新しい制度で本当にうまくいくのか」といった声が上がる。改革の必要性は認めても、自分の仕事や処遇に影響が及ぶとなると、多かれ少なかれ抵抗感が生じるのだ。

 その背景にある大きな要因が「現状維持バイアス」である。

 現状維持バイアスとは、変わることのメリットを認識しながらも、変化を避けようとする心理的傾向をいう。1988年に米国の研究者サミュエルソンとゼックハウザーが発表した研究によって広く知られるようになった。ヒトは複数の選択肢があるとき、必ずしも最も合理的なものを選ぶわけではなく、現在の状態を維持する選択肢を選びがちというものだ。

 では、なぜ現状維持バイアスが生じるのだろうか。主な要因として、次の4つが挙げられる。

 第一は「損失回避」である。人は一般に、同じ大きさの利益を得る喜びよりも、損失を被る苦痛を強く感じる傾向がある。改革によって得られる利益よりも、失うかもしれないものに意識が向きやすい。

 その背景には、人類の進化の過程で形成された生存のための適応があるとも考えられている。厳しい自然環境では、食料などを新たに獲得することより、すでに確保しているものを失わないことの方が、生存にとって重要な場合がある。こうした環境が、利益の獲得よりも損失の回避を重視する心理を形作ったという説明である。

 第二は「不確実性への不安」である。現行制度には不満があっても、仕組みや自分への影響はある程度予測できる。一方、新制度ではどのような結果になるかわからない。人は、不確実な将来よりも、予測可能な現在を選びやすい。

 第三は「新たな負担の回避」である。慣れ親しんだ制度や仕事の進め方を変えるには、新たな知識やスキルの習得が必要となる。その手間や負担を避けたいという心理が働く。また、これまでの経験や努力を無駄にしたくないという思いも、現状への固執につながる。

 第四は「自己の立場や価値へのこだわり」である。現在の制度の下で高く評価されてきた人ほど、その仕組みを正当なものと考えやすい。制度が変われば、これまで築いてきた地位や強みが通用しなくなるかもしれない。こうした懸念も改革への抵抗を強める。

 それでは、企業はどのように対応すべきだろうか。資格等級制度、評価制度、賃金制度等を見直す人事制度改定のケースで考えてみたい。

 まず、損失回避への対応である。たとえば、年功的な賃金制度から成果や役割を重視する制度に移行する場合、一部の社員の賃金が下がることがある。会社が新制度のメリットをいくら説明しても、当事者にとっては目前の不利益の方が切実である。この場合、賃金への影響を個別にシミュレーションし、経過措置や一定期間の減額緩和措置を設けることが考えられる。不利益の内容を正確に把握し、緩和することが重要である。

 次に、不確実性への対応である。新しい資格等級制度では、各等級に求める役割や能力を具体的に示し、昇格・降格の基準を明確にする。評価制度についても、評価項目や判定基準、評価結果と処遇の関係をわかりやすく説明する。さらに、複数のパターンによる昇格モデルの提示や評価の試行運用を行えば、社員は新制度の下で自分がどう扱われるかを理解しやすくなる。

 3つ目に、新たな負担の回避である。新制度の導入に合わせ、社員向け説明会だけでなく、評価者研修や目標設定の演習などを実施する。新たな評価基準を実際の業務に当てはめてみることで、制度への理解と習熟が進む。また、導入後も相談窓口を設け、運用上の疑問や負担を解消していくことが有効である。

 最後に、自己の立場や価値へのこだわりへの対応である。たとえば、年功的な資格等級制度を見直す場合、長年の経験や専門性を否定するわけではないことを説明する必要がある。経験や専門性を新制度でどのように評価するのかを明確にするとともに、制度設計の段階から現場管理職や社員の意見を聴き、納得性を高めることが求められる。また、これまでのポジションや給与レベルを一定程度保障することも必要となろう。

 現状維持バイアスはヒトの心理に根付いたもの、デフォルトして存在するものである。一概に抵抗勢力と敵視せず、力で抑えるのではなく、変化に対する不安を減らし、納得して新制度に移行できる環境を整えることが、改革を定着させる鍵となる。          

 



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