前回、現状維持バイアスが制度改革の障壁となること、そして、現状維持バイアスは人間がもつ本能的な心理であることを指摘した。そうすると、経営者にも現状維持バイアスはあるはずだが、多くの経営者が自ら改革を推進するのはなぜだろうか。その理由を5つの観点から考えてみたい。
1. 経営者は、変えないことのリスクを強く認識している
前回も指摘したように現状維持バイアスの背景には損失回避がある。人は、何かを得る喜びよりも、失うことによる苦痛を強く感じる傾向があるというものだ。
ただし、経営者と社員では、何を損失と認識するかが異なる。たとえば、年功的な人事制度を成果重視の制度に改定するケースで言えば、経営者は現行制度を維持すると人件費が硬直化し、優秀な若手社員の流出や企業競争力の低下につながることを懸念する。一方、社員は新制度移行に伴って自分の賃金や等級が下がる可能性を懸念する。
つまり、経営者は「改革しないことによる損失」を、社員は「改革することによる損失」を重視するのである。これは、経営者の方が必ずしも合理的ということではない。何を守りたいと考えているかが異なるため、同じ損失回避の心理が、経営者には改革を促し、社員には改革への抵抗を促す場合があるということだ。
2. 経営者には、会社の存続と発展に対する責任がある
会社のかじ取りを担う責任感も重要な要因である。経営者は、現在の業績だけでなく、5年後、10年後の会社の存続や成長にも責任を負う。このため、現状に大きな問題がなくても、将来の環境変化に対応できなくなることを懸念し、改革の必要性を認識しやすいと考えられる。
また、経営者には業績や企業価値、事業継続に対する説明責任がある。「現状大きな問題はないので、これまでどおりに経営していく」では、ステークホルダーを納得させるのは不十分である。
3. 経営者は社員よりも環境変化に関する情報を持っている
経営者は、競争環境、顧客ニーズ、技術革新、財務状況など、企業全体に関する情報に接する機会が多くある。人事制度の改定でも、経営者は次のような情報を踏まえて判断する。
・将来の社員構成と人件費負担の予測
・人材採用・定着に関する競合他社との比較
・事業構造の変化に伴う必要人材の変化
一方、社員にとって、これらは必ずしも身近な問題ではない。自分の仕事や処遇に及ぼす具体的な影響の方が強く意識される。改革の必要性を判断するための情報と、将来を見通す時間軸の違いが、改革に対する姿勢の差を生んでいると考えられる。
4. 経営者は改革の決定者、社員は受け手である
経営者は、自分の判断で改革を企画・推進できる。改革の目的や内容を理解しており、実行方法にも影響力を持っている。一方、社員は、自分が十分に関与していない改革を受け入れる立場になりやすい。これは心理的に大きな違いである。
心理学の研究でも、変化への抵抗には、慣れた状態への選好だけでなく、他者から押し付けられる変化に対する否定的な反応が関係することが示されている。経営者が改革に積極的なのは、自ら改革を決定し、コントロールできる立場にあることも影響していると考えられる。
5. 経営者には変化を受け入れる資質が求められる
「経営者であること」の資質も無視できない。一般に、変化する環境のなかで経営者として成果を上げるには、次のような資質が重要だ。
・環境変化を察知する感度
・既存の仕組みや成功体験を疑う柔軟性
・不確実な状況でも意思決定する能力
・失敗を恐れず、新しいことに挑戦する姿勢
したがって、相対的に変革への適性の高い人材が経営者に選ばれていることは考えられる。
以上、経営者はなぜ改革を推進するのかをまとめてみた。それが経営者の仕事と言ってしまえば身も蓋もないが、大変な役割であることをあらためて認識できる。