運賃1000円を着服して懲戒免職となり、退職金も全額不支給となった市営バスの元運転手が、処分の取り消しを求めた訴訟の上告審で、最高裁は不支給を適法とする判決を下した。
本来であればもらえる退職金は1200万円。それが、たった1000円を着服したことでゼロに。元運転手にとっては、「免職はともかく、退職金ゼロは何とかしてほしい」というのが切実な思いだろう。筆者の感覚でも「少し重すぎるのでは?」と正直思う。身から出た錆とはいえ、気の毒だと感じる人も少なくないだろう。いろいろと考えさせられる判決だ。
ここでは、最高裁がどのようなプロセスで判断を導いたのか、判例詳細を概観してみよう。
まず、最高裁は、京都市の判断の拠り所となった「交通局職員退職手当支給規程8条1項1号」を以下の通り示す。後述するが、これを基に、京都市の判断の妥当性をチェックすることになる。
「管理者は、当該退職者に対し、当該退職者が占めていた職の職務及び責任、当該退職者の勤務の状況、当該退職者が行った非違の内容及び程度、当該非違に至った経緯、当該非違後における当該退職者の言動、当該非違が公務の遂行に及ぼす支障の程度並びに当該非違が公務に対する信頼に及ぼす影響を勘案して、当該退職に係る一般の退職手当等の全部又は一部を支給しないこととする処分を行うことができる」
次に、事案の概要を整理する。箇条書きでまとめると以下のようになる。
・被上告人(元運転手)は、平成5年3月に京都市交通局の職員として採用された。
・被上告人は、各種表彰歴を有する一方で、乗務中の事故を理由に4件の戒告の処分と2件の注意を受けたことがあるが、これまでに一般服務や公金等の取扱いを理由とする懲戒処分を受けたことはない。
・被上告人は、令和4年2月11日の勤務中、乗客から5人分の運賃(合計1150円)の支払を受けた際、硬貨を運賃箱に入れさせた上で、千円札1枚を手で受け取り、その後、これを売上金として処理せずに着服した。
・京都市交通局は、バス車内での電子たばこの使用を禁止しているが、被上告人は、令和4年2月11日、12日、16日及び17日、乗客のいない停車中のバスの運転席で、合計5回、電子たばこを使用した。
・令和4年2月18日、バスのドライブレコーダー点検により、本件非違行為が発覚。被上告人は、上司との面談で喫煙行為は認めた。着服については、当初否定したものの、上司からの指摘を受けて認めるに至った。
・令和4年3月2日、被上告人を懲戒免職処分とした上で、一般の退職手当等(1211万4214円)の全部を支給しない処分を下した。
筆者が本件で最初に思ったのは、過去に同様の違反行為があったのではないかということだ。そうであれば、重い処分もやむを得ないと考えたのだが、同様の違反行為はなかったようである。
続いて、大阪高裁の判例を示す。整理をすると以下の通りである。
・被上告人の職務内容は民間の同種の事業におけるものと異ならない。
・本件非違行為によって、実際にバスの運行等に支障が生じ、又は公務に対する信頼が害されたとは認められない。
・本件着服行為による被害金額は1000円にとどまり、被害弁償もされている。
・被上告人の在職期間は29年に及び、一般の退職手当等の額は1211万円余りであった。
・被上告人には、本件非違行為以外に一般服務や公金等の取扱いに関する非違行為はみられない。
・これらを斟酌すると、本件全部支給制限処分は、非違行為の程度及び内容に比して酷に過ぎるものといわざるを得ず、社会観念上著しく妥当性を欠いて裁量権の範囲を逸脱している。
これはこれで説得力のある判断だと思われるが、最高裁は認めない。以下のロジックで大阪高裁の判示をくつがえす。
・市の規定は、懲戒免職処分を受けた退職者の一般の退職手当等について、退職手当支給制限処分をするか否か、これをするとした場合にどの程度支給しないこととするかの判断を管理者の裁量に委ねているものと解され、その判断は、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用したと認められる場合に、違法となるものというべきである。
(以下、市の規定に即して妥当性を判断)
・本件着服行為は、公務の遂行中に職務上取り扱う公金を着服したというものであって、それ自体、重大な非違行為である。
・バスの運転手は、乗客から直接運賃を受領し得る立場にある上、通常1人で乗務することから、その職務の性質上運賃の適正な取扱いが強く要請される。
・本件着服行為は、上告人が経営する自動車運送事業の運営の適正を害するのみならず、同事業に対する信頼を大きく損なう。
・被上告人は、バスの運転手として乗務の際に、1週間に5回も電子たばこを使用しており、勤務の状況が良好でないことを示す事情として評価されてもやむを得ない。
・本件非違行為に至った経緯に特段酌むべき事情はなく、被上告人は、それらが発覚した後の上司との面談の際にも、当初は本件着服行為を否認しようとするなど、その態度が誠実なものであったといえない。
・これらの事情に照らせば、本件着服行為の被害金額が1000円でありその被害弁償が行われていることや、被上告人が約29年にわたり勤続し、その間、一般服務や公金等の取扱いを理由とする懲戒処分を受けたことがないこと等を斟酌しても、本件全部支給制限処分に係る本件管理者の判断が、社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用したものといえない。
京都市の判断は、著しく妥当を欠いて裁量権の範囲を逸脱したり、濫用したりするものではないのでOKということだ。言外には、「多少、厳しいものであるが」とのニュアンスが含まれている気がする。つまり、社会観念上“著しく”妥当性を欠いていなければ、ある程度の裁量の行使は許容されるという判断だ。
ともあれ、5人の裁判官全員一致の判決である。これまで、懲戒解雇の場合の退職金不支給は、「労働者の永年の勤続の功を抹消してしまうほどの重大な不信行為があることが必要(小田急電鉄事件.東京高裁平15.12.11)」というのが判例のスタンダードで、どちらかと言えば、労働者側に立ったものであった。
本件は、「社会観念上著しく妥当を欠く裁量権の範囲の逸脱や濫用」がなければ認められるとする、企業側に立った基準といえそうだ。公務員の事案なので民間にそのまま当てはめられるわけではないが、最高裁の判例として、懲戒解雇の退職金不支給に大きな影響を与えるのは間違いない。